おやびんインタビュー


ガラタ誌からのインタビューをどうぞ。

Asist Krali’ndan Gol Krali’na / アシスト王から得点王へ
ゴールを重ねていますね。(あの)ゴールはきっと(今)「シーズンのゴール」でしょう。しかしあなたは試合後に「100のシュートをしても99は外れる。しかしこれは得点になった」と言っていますね。これはご謙遜でしょうか?

あんな体勢からでは、実際に100本のシュートを打ってもほとんど外れるものだけど、あの日のシュートは入っちゃったんだ。実を言うと、苦手な左足のシュートでゴールを狙ったんだよね。でも、サッカーなんてこんなもんさ、あの時、僕に運があったんだ。サッカー名人なら、あそこへ蹴るぜって予告して成功することもあるけどね。ふつうの奴なら、ゴールと向かい合って、前方を空けさせ、ようやくあのコーナーに決められるってもんさ。そうでもしなけりゃ、コーナーを狙って、思うようにゴールなんてできないよ。


以前ならああいったボールを蹴りましたか?それとも考えましたか?

前はもっと逡巡したよ。「シュートしようかな? 入るかな?」って疑問が浮かんじゃうんだ。僕のサッカー人生は、シュートよりもアシストが先に立ってきたんだ。空いたスペースにいても、よりゴールに近く、余裕ある場所にいる仲間のことを考えてしまう。でも、今は僕がトップだし、ゴールを期待されているし、まずは試してみなくちゃ得点にならないのが分かってるからね、シュートに行くよ。


「謙遜するな、(人々はそれを)信じてしまう」という言葉があります。あなたはメディアへの説明でいつも「私はストライカーではありません」と言っていますね。人々に「ストライカーでない」と信じ込ませていますが、これ程控えめである必要があるのでしょうか?

僕はこのチームね12年目になるんだ。みんなは、選手がどのようなタイプのプレーヤーなのかを理解しているからね。自分自身もそれを分からなくちゃいけないと思うんだ。僕はいつも、やっていないことを「できない」とは言ってないよ。なぜなら、サッカーは変化の激しいスポーツで、はじめからあれこれ言うのは大きな間違いなんだ。今、僕達は幸いにもフィールドに出て戦い、勝利を手にしてる。でも、この結果だけで大きな口を叩くとするだろう。すると、次の試合でうまくいかなくなればどうなると思う? そのとき、僕はどうすりゃいいんだい?


12年間ずっとこういった(豪語するような)発言はしてこなかったのですか?

一度も口にしたことはないね。それは、僕の気質にも人間性にも合わないよ。僕は大きなことは言わないんだ。なぜなら、勝敗の行方は人の手に負えるもんじゃない、サッカーなんだからね。ある時、僕が素晴らしいプレーをするとしよう。でも試合後、この結果に気を良くして大きなことを言い、他のゲームでひどいプレーをしたらどうなるだろう?そりゃ、人は言うだろ。「おいおい、前の週はこんなことを言わなかったっけ? いったい、どうしちゃったんだい?」ってね。


12年前のアリフと今のアリフとでは何が変わりましたか?身体的に、そして精神的に。

もちろん、好む好まざるに関わらず身体的には衰えてきてるよ。ガラタに初めて加入した頃は、90分、ずっと同じテンポで試合ができていたんだけど、今はそうはいかないね。後半はスローダウンするよ。これに関しては経験でフォローしてる。昔は取れないボールでも100パーセントで向かって行ったけど、今は経験を重ね、取れないやつは捨ててるんだ。ピッチの上で積極的に休むときもあるし、精力的にサッカーをするときもある。そうやって、12年前と現在の差を埋めてるのさ。


それではプレースタイル、戦術での変化はありますか?

いや、特に変化はないよ。でも、前はボールが足元に来てもあまりゴールを考えず、シュートはしなかったな。今は、すぐにゴールを考えてシュートを打つよ。以前は、アシストすることを期待されてたからね。一緒にプレーするフォワードがハカンであれ、ジャドレであれ、アシストに専念してた。彼らのサッカーの特徴を考えて、パスを出すんだ。彼らは長身で、空中戦に強いフォワードだったからね、それに合わせるパスを出していたんだ。でも今のガラタはそういったタイプのフォワードがいないからスペースを見つけて、ドリブルからシュートを狙いにいくよ。


競技中シュート態勢に入り、それを得点に結びつける確率がとても上がりました。まえはもっと確率が低かったのですが。

前はゴールを外す不安を感じていたんだけど、去年かな、それを克服したよ。より多くのシュート体勢に入り、ゴールキーパーと1対1の局面でシュートを打つようになって、自信が生まれてきたんだ。12年間のシャドーストライカーとしての経験が、ゴール地点に潜んでいられる技を僕に教えてくれたのさ。パスを出すから入れてくれ、と前は思ったけど、今はボールをキープして、周囲を見てよければ自分で蹴るし、もっといいスペースに仲間がいれば、そいつにパスを出すよ。


一つのチームのフォワードに12年間残るのは易しいことではありません。世界でもあまり例がありません。BarnesはLiverpoolで10年ユニフォームを身に付けました。わが国ではあなた(の記録)に迫るHamiMandiraliがいますが。この(フォワードでの長期にわたる活躍)秘訣はなんでしょうか?

秘訣はね、うんと練習に励むことと辛抱することだね。僕にだって、控えに回り、メンバーに入れなかった時期はあったんだ。カリが来たとき、僕はメンバーに入れてもらえなかったからね。カリ就任前、つまりガラタでの最初のシーズンでは36試合の出場を果たしていたんだよ。しかし、カリは僕を必要としなかったんだ。僕はへこたれず練習して、与えられた責任を充分に果たすことに努めたよ。振り返ってみれば、あっというまに時間が経った気がするね。


その辛い日々にチームを離れようと考えたことはありますか?

うん。カリ時代はチームを去ろうと思ったよ。彼がチームへ加入した年に、僕はほとんど試合に出られなかったからね。その後、カリが僕のところへ来て、Bチームへ追い遣ったんだ。さすがに落ち込んだよ。でも、このことも言っておかなくちゃいけない。当時僕はシーズン前のオランダキャンプで風邪を拗らせてしまったんだ。ひどく体力を消耗して、回復するのに時間が掛かったんだよ。20歳か21歳のときだね。すごく落胆して、そのことでチームを去ろうと考え始めたんだ。他にも、僕を欲しがってくれるチームや、レンタルしたがってくれるチームもあったからね。でも、真ん中の兄貴が言ってくれたんだ「お前はもう、ガラタサライの一員だよ。そのチームと縁を切って、他に行く必要なんかないだろ」ってね。僕は兄貴の言葉を聞き入れると同時に一生懸命練習して、結果得をしたんだ。トレーニングすることによって、能力、気力、体力が元に戻り、カリも僕にチャンスをくれた。そのチャンスを僕はものにしたんだよ。それから、二度とガラタのユニフォームを脱ぐことはなかったね。


さて、ガラタサライで問題になったことはありますか?

いや、問題になったことはないよ。デマがとんだことはあるけどね。「チーム内でグループをつくる」とか「贔屓する」とか言われたな。でも、ガラタサライのチーム内でそんなことはないよ。ジャーナリズム関係の方なら、ここでの仲間意識がよく分かるだろ? 確かに、前はもっと良かったよ。今はチームに新しい仲間が来て、打ち解けるまでにもう少し時間が掛かるけどね、また僕達の友情を再確認することができるよ。ガラタサライの外国人選手はいいやつらだしね。これは本当さ。


スペインではどのように迎えられましたか?あちらの雰囲気はどうでしたか?

まず言わせてくれよ、トルコ人はとっても客好きで情に厚いんだ。自分達の熱い気持ちを、いろんな状況で相手に向けてるのかもしれないね。だけど、外国ではその正反対の例に出くわすこともあるんだ。チームに外国人選手として入るとするだろ。そうすると、その選手に対して期待はしても情は向けない。当然、だれだって自分の友達や同じ国の仲間と一緒にプレーするのを望んでるからね。おっと、僕達は違うよ。同じチームでブラジル人がプレーしようと、フランス人がプレーしようと、誰も文句なんか言わないさ。どうしてかって、そりゃ、僕達は他人に対して敬意をはらうからね。


スペインでは誰もあなたに親愛の情を示さなかったのですか?

少しは示してくれたよ。もちろん、彼らが礼儀に反するようなことをしたってわけじゃない。でも、僕達のような熱烈さや感じの良さはなかったね。ピッチでパスを寄越さないとか、仲間を優先させるという面はあったけど。でも、僕達はそんな些細なことを気にしている時間もないし、性質でもないさ。


スペインにいらした理由はなんですか?ガラタサライでは満足ゆく地点に到達したと思われたのですか?

誰にでも子供の頃からの夢はあるだろう。僕は、ヨーロッパでプレーすることだったんだ。ヨーロッパのピッチでプレーしたい、雰囲気を味わいたいという願望があったんだよ。UEFAカップの後、たくさんのチームから申し出があったんだ。本当のところ、僕はチーム間に全く区別をつけず、吟味をしないですぐに「OK」と言ってしまったんだよね。それがレアル・ソシエダだった。サインはヨーロッパチャンピオンの最中にしたよ。まだ、試合は続いていたってのにね。


ガラタサライでは毎シーズン優勝を合言葉に始まり、目標はいつでも一番大きいものでした。ですが、あなたが行ったチームはスペインで残留をかけて戦うチームでした。これはあなたにどのように影響しましたか?

僕が初練習に参加したときに、みんなが「ああ、今年は降格しませんように」って言ってたんだ。なんなんだって思ったよ。「僕はここへ何しに来たんだろう」ってね。もっと後に、バルサとソシエダのホームで対戦したんだけど、前半だけで0-6さ。サッカーにはどんな結末もあるけど、この試合はさすがに辛かったし、落ち込んだよ。守備陣も攻撃陣もお手上げさ。僕は負けず嫌いだから、とても残念だったよ。


個人的な(環境への)不適応はありしたか?

適応問題は、海外でプレーするすべてのサッカー選手にあるもんだよ。早い話が、僕はイスタンブルの道を知ってるし、レストランも知ってる。つまり、ここが僕のホームなんだ。もちろん、向こうでの生活がここと同じだとは思ってないよ。選手はそこに合わせて準備すべきなんだ。はっきり言っちゃえば、僕は準備不足のまま行ったんだ。スペインを想定して、自分を調整しなかった。だから、向こうで苦労することになったんだよ。行った先がどこであれ、向こうに順応して生活しなくちゃね。もちろん、言葉も大事だね。


(ガラタに)戻ってこられる時に恐らく他のチームはどこも考えていらっしゃらなかったようですね。つまり、ヨーロッパでどこか他のチームを考慮せず直ぐにガラタサライに戻ってこられた。

うん、どこか他のチームを探したりしなかった。帰郷を決めたとき、直接ガラタに接触したよ。金銭的には大きな損失を与えてしまたけど、僕の希望は通ったんだ。ガラタサライでプレーすることは幸せだし、安心してる。少なくとも、気が楽だね。何年も骨を折ってきたチームにいるんだから、当然のことだけどね!


アリフ、こちらでちょっと調べたのですがサッカー人生において6千時間以上もピッチで練習してきたのですね。次のことのためにこれを指摘したのです。ボールを外すとすぐさまやじるサポーター達に、サッカー選手がどれほど難しい仕事かを説明してあげて欲しいのです。

実に難しい仕事だよ。それに、何の後ろ盾もない孤独な仕事なんだ。なぜかというと、何千人ものサポーターの前に出ても、ピッチに立てば一人ぼっちなんだからね。そこで、能力や自己犠牲、サッカーの知識が足りなくたって、誰も手を差し伸べてはくれない。ピッチでは何事も一瞬に起こって、靴下の伝線のように、後へと影響していくんだ。スタジアム外でも、たくさん練習しなくっちゃね。サッカーを始めた当初、Zeytinburnusporのもっと前、地区のチームYesililgazsporでもたくさん練習したよ。友達が1練習するとすれば、僕は倍やった。練習後も帰らないで追加練習をしたんだ。練習することは、サッカー選手にとって有益なことだよ。サポーターについていえば、トルコで試合を観戦する誰もが監督であり選手なんだ。これは当然のことだよ。多分、僕達だって外から観戦すれば、同じような反応を示すかもしれないしね。でも、サポーターをピッチに上げて選手として試合の雰囲気を味わえば、試合前の緊張を目の当たりにすることで、こうした野次はなくなるはずだけどね。


引退後は何をしようとお考えですか?長年サッカーに囲まれて生きてこられた方としてはサッカーと縁を切ることができるのでしょうか?

引退したあと、最初はサッカー界の外に身を置く事を考えてるよ。その後どうするかは分かんないけどね。結局、サッカーに戻ってくると思うけど。オカンともこのことについて話したんだけど、多分、僕達はトレーナーになるんだろうなって言ってたよ。でも、先のことは分からないな。


稼いだものをどう使っていらっしゃいますか?

不動産投資してる。何度か商売の話もあったんだけどね。人は肝心なところで、じっとしていられないんだ。オカンと一緒にテキスタイル業を始めたんだけどダメ、病院の仕事をしてもダメ。おいしい仕事があると声を掛けられるんだけど、調べてみると根拠なんてないんだよね。だから、今は堅実だよ。サッカーをやめたら、多分商売人になるけどね。


マスコミでは誰もがアリフは調子の上がりが早かった、といいました。ご自分でもそう思われますか?

どんなサッカー選手にも、上昇、下降時期ってのはあるよ。これが、体調だろうと精神状態だろうと、それがサッカーの現実なんだ。僕は本調子じゃなかったんだけど、チームの状態が良かったんだ。僕はいいパスをもらって、チームが素晴らしい攻撃をする。僕はゴール付近にいるってことで、多く得点しているだけだよ。


ゴールエリアにいることに満足ですか?それはあなたに余分な義務を生じさせるわけですが。

もちろん、サッカーにおいては満足してるよ。調子がよければ周囲がちやほやし、悪くなれば去っていく。サッカーとはそんなもんだよ。因果な商売だからね、サッカーってやつは。


負けた試合のあとそれを気に留めますか?それとも目前の試合のことを考えますか?

気にしないようにしなくちゃね。それに囚われると、次の試合で求められるようなパフォーマンスができなくなるんだ。うまく行かないもんさ。


ヨーロッパのリーグを見て、自分に似ている、あなたのプレースタイルに近いフォワードはいますか?

ひと昔前、コロンビア人のアスプリーラがいたね。実は、彼のプレースタイル、戦術やドリブルを、自分のプレーと重ねて見てたんだ。フォワードで買ってるのはロナウドだよ。僕は彼を、世界で最も重要なスターのひとりだと考えてるね。


12年間ガラタサライでサッカーをしていますが、報道ではあなたの私生活に関するニュースはとても少ないですね。これはどのようにして成し遂げたのですか?

正直に言えば、そういう生活を望んでいるんだ。誰であれ、仕事の分野で評価されるべきだと思ってるからね。それに、プライベートはプライベートだから。昔はいくつかニュースになったこともあるけど、若い頃のことだからね。ここ5、6年は平穏だよ。縁があれば、1,2年のうちに結婚したいね。


UEFAカップの決勝戦で前半の終わりごろにかけてチャンスがありました。あなたはまさにゴールチャンス、というところを逃してしまったのですよね。ハーフタイム、ロッカールームで何を考えましたか?

冷や水を浴びせられたような気分だったよ。今までこういった決勝戦を、いつもトルコ国民としてテレビで観戦して、他のチームを応援していたんだからね。そんな大事な試合でピッチに立ち雰囲気を味わいながら、試合では決定的なチャンスを逃し、ふいににしてまったんだ。どうやってロッカーに戻ったのかも覚えてないよ。ゴールを逃して「アリフ、駄目だ」と独り言を呟いたよ。だって、相手はアーセナル、素晴らしいチームなんだから。僕らが負ければ、トルコサッカーの歴史上、最も大切な試合のひとつ、恐らく最も重要な試合に負けてしまうことになる、その責任を感じて僕はもう死にそうだったよ。でも、神さまのおかげで優勝カップを掲げることができ、恐れていた事態からは免れたけどね。


過去を振り返ってみてあなたのサッカー人生でのもっとも重要な成功とは何を挙げますか?


コペンハーゲンは忘れられないな。忘れることなんて絶対にできないね。日韓ワールドカップも重要だったけど、あの喜びを味わうのに、プレーできた選手とできなかった選手を一緒にはできないよ。すべての試合で果敢に攻撃しがんばった選手と、最後の三分間だけプレーした選手とでは、喜びの大きさは同じじゃないしね。だから、ピッチでプレーできていたら、喜びも格別になっただろうね。


これまで仕事をした総ての監督を一方に、Fatih Terimをもう一方に置いてその相違点を説明してください。どうでしょうか?

ファティ監督は、とにかく僕の子供時代からの監督だよ。子供の頃からっていうのは、僕がZeytinburnusporでプレーしていたころ、ファティ監督がUmit Milli Takimへ呼んでくれたんだ。つまり、1989年から知ってることになるね。とても重要な勝利を、監督ともに味わったよ。1993年だったね、僕達はフランスの地中海競技会で優勝したんだ。その後、代表チームの監督になって、ガラタサライでも素晴らしい日々を過ごしたよ。これからも、いっそう素晴らしい日々を彼とは過ごすことになるんだろうな。


ワールドカップ期間中大見出しになり、いまだに人の口に上っている話題があります。信仰、宗教心のことです。ガラタサライであなたも説明をなさいましたね。

人の信仰については、話題にすべきじゃないと思うよ。誰が何を信じようと何を欲しようと、それは個々の好きにさせればいい。誰にもでも信仰の自由はあるんだからね。もともと、何の問題もなかったのに、大きな騒ぎになってしまったんだ。イスラム教徒の間にだって、金曜礼拝にいかない連中はいるだろ。そういう人たちのところ行って聞いてみればいいさ。トルコ代表になにか問題はあったのかってね?
ガラタサライ誌2002/9 P34〜41
毒サポ3号さん訳
2号さんご協力
最後まで読んでくれてありがとう。貴方は相当なアリフファンですな?(笑)
今、大躍進中のレアル・ソシエダには3ヶ月の間在籍していたアリフ。
インタビューにもあるように準備も覚悟もなしに行ってしまったのが、スペインで挫折してしまった一要因ではないかと。
アリフの謙虚で人当たりの良さは、長い年月シャドーストライカーという役をやっていたからなんだなぁと思ったのでした。
どんな体勢でもシュートを打とうとするその姿は、日本のFW陣にも見習って欲しいっす!

ガラタモデル動画で、誰が1番カッコいいですか?という質問に「俺!なんちって!ワハハ!いや、やっぱりベダットだよなー!」と言ってたあんたが1番カッコいいよ!!

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